【兵庫県弁護士会】会長談話「憲法記念日にあたっての会長談話」

 令和4年5月3日兵庫県弁護士会会長「憲法記念日にあたっての会長談話」です。以下、全文貼り付けます。

 

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   会長談話「憲法記念日にあたっての会長談話」

2022年(令和4年)5月3日
兵庫県弁護士会
会 長  中 上 幹 雄

 

 市民のみなさまへ

 今日は、日本国憲法が施行75年目を迎える憲法記念日です。私たち市民が憲法の意味、憲法が何のために制定されたかを考える絶好の機会です。

 日本国憲法は、「立憲主義」という考え方をとっています。多数派・少数派を問わず、すべての人々が個人として尊重されることを大切な価値感として位置付け、多数派の意思が優先されがちな法律によっても侵すことができない国の権力の限界を定めたものが、日本国憲法です。憲法は国民のために国の権力を縛るものであって、国民を縛るものではありません。

 未だコロナ禍で、私たちを含む多くの市民が不自由な生活を余儀なくされております。憲法があるせいで、コロナ禍であっても法律で国民の権利を制限できないという趣旨の議論がありますが、それは誤りです。現行憲法でも国会が定める法律によって、国民の自由を制限することは可能です。ただ、憲法が許容する範囲を超える国民の権利の制限は、国がどんな法律を定めようとも許されないだけのことです。憲法は、法律を制定する国会、ひいてはその法律を執行する内閣が決して暴走できないように制約するものであり、国民の権利を制限できない原因を憲法に求めるような議論は、「すべての人々が個人として尊重される」価値観とは全く相容れないものです。

 また世界に目を向ければ、連日のようにウクライナの惨状が報道され、憲法9条の改正を含む憲法改正の議論が、かつてなく活発に行われています。

 あらゆる個人に尊重される自由・生命を国家権力が奪う「戦争」(究極の人権侵害)が行われている現実を目の当たりにし、どうして国家権力が暴走したのか、どうして国家権力の暴走を国民が阻止できないのか等の疑問に向き合うことのないまま、国際情勢と国際社会における日本の立ち位置への不安から、憲法改正議論が活発化していくことはある意味自然な流れなのかもしれません。

 しかし、このような時だからこそ、時代は違えど、戦後、国家権力の暴走とそれを阻止できなかった反省に立って制定された日本国憲法の立憲主義、平和主義の考え方を再認識し、時代の変化によっても変えるべきではない価値観と、変えていくべき価値観を、私たち一人ひとりが考えることが必要であるように思います。

 日本国憲法が施行75年目を迎える憲法記念日に、私たちの憲法について考える時間を設けていただければ幸いです。

 兵庫県弁護士会は、基本的人権の擁護と個人の尊厳という根源的な価値を皆様と共有し、その社会正義を実現するため、引続き提言や実践に真摯に取り組んでまいります。

以上