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十七条憲法第五条と裁判官の公正

 産経新聞ホームページ「いにしえの教え 十七条の憲法(5)(2013/2/2)」に裁判官の公正を解く十七条の憲法第5条が紹介されています。

 

 五に曰く、餮(むさぼり)を絶ち、欲を棄(す)てて、明らかに訴訟(うったえ)を弁(さだ)めよ。それ百姓(ひゃくせい)の訟(うったえ)、一日に千事(せんじ)あり。一日すら尚爾(なおしか)り、況(いわ)んや歳(とし)を累(かさ)ぬるをや。頃(このごろ)、訟を治(おさ)むる者、利を得(う)るを常となし、賄(まかない)を見てことわりを聴く。便(すなわ)ち財あるものの訟は、石を水に投ぐるが如(ごと)く、乏しき者の訴(うったえ)は、水を石に投ぐるに似たり。ここを以(もっ)て、貧しき民(たみ)は則ち由(よ)る所を知らず。臣(しん)の道またここに闕(か)く。

 【現代語訳】役人は饗応(きょうおう)や財物への欲を捨て、訴訟を厳正に審査しなさい。庶民の訴えは1日に千件もある。1日でもそうなら、年月を重ねたらどうなるであろうか。だが、現状は訴訟にたずさわる者は、賄賂(わいろ)が当たり前となり、賄賂を受けてから申し立てを聴くありさまだ。財力ある者の訴えは石を水中になげこむように簡単に受け入れられるが、貧しい者の訴えは水を石に投げ込むようなもので聞きいれてもらえない。このため貧しい者たちはどうしていいか分からない。このようなことは役人の道にそむくことだ。

 

 現代日本の裁判官は賄賂などからはほど遠く清廉潔白に、そして勤勉実直に裁判に臨んでいると信じています(独善に陥っているかは別として)。実務裁判官は市民的自由すら放棄して「公正らしさ」を求め続けています。

 もっとも、一部の最高裁裁判官と巨大電力会社の顧問をする巨大法律事務所との「交流」(原発訴訟担当最高裁判事が退官直後に巨大法律事務所への天下りすることや元最高裁判事がその肩書きで東京電力側の意見書を最高裁に提出するなど(後藤秀典「東京電力の変節 最高裁・司法エリートとの癒着と原発被災者攻撃 旬法社」参照))をみるに餮(むさぼり)を絶ち、欲を棄(す)てて、明らかに訴訟(うったえ)を弁(さだ)めよ。」との聖徳太子の言葉もむなしくなります。

 「便(すなわ)ち財あるものの訟は、石を水に投ぐるが如(ごと)く、乏しき者の訴(うったえ)は、水を石に投ぐるに似たり。ここを以(もっ)て、貧しき民(たみ)は則ち由(よ)る所を知らず。臣(しん)の道またここに闕(か)く。」ことになっていないか、最高裁判事の「公正」こそ厳しく問われます。