相原淳一「再考貞観津波一 考古学から「津波堆積物」を考える 一」考古学研究 第68巻第1号(通巻269号)53-74頁. 2021年6月には以下の記述がある。
・箕浦のシカゴ大からの論文発表の前年に,東北電力(株)女川原子力発電所建設所を肩書とする阿部壽らの論文(阿部ほか1990)が日本地震学会から公表(1990年 6月26日受付,12月10日受理12月24日発行)されている。調査目的や調査日時などの詳細は記されていないが,箕浦が「機械力により掘削した」3地点に,阿部らの坪掘り調査3地点は近接し,さらに補足調査として検土杖による122地点の調査が行われ,箕浦らの調査規模を大きく上回る。謝辞においては東北大学の箕浦幸治氏および弘前大学の中谷周氏にご協力を頂いたと記され,未公表の箕浦·中谷の研究成果を大規模かつ組織的に検証することが調査目的であったことをうかがわせる。学史的には東北電力の報告が先に公表され,ねじれの位置関係となっている。
・3.11後の検討では「これまで過去の津波の浸水域は,地層として確認できる位置まで推定してきたが,実際にはそこからさらに内陸奥まで及んでいたのである。 …貞観地震の断層モデルの推定において,これまでは津波堆積物の分布域を浸水域として津波浸水計算を行っていたが,実際はもっと内陸奥まで浸水することを考慮する必要がある。…歴史記録や地形,地層に残された痕跡を読み解けばある程度の想定は可能だった」 とし,これまでの研究が過小評価であったことを認めた (宍倉2011)。
・これらのデータをもとに,いくつかの仮定(仙台平野で地震に伴う地盤の沈降はなかった)のもと,貞観地震の断層モデルと津波シミュレーションによる復元が行われた(菅原ほか2011)。「仙台平野で震源域までの距離r =約 200km, 震度I = 5を仮定」し, 地震マグニチュ ー ドM = S.3が推定された。この研究は2012年に第22回日本自然災害科学会学術賞を受賞したが,産総研と同様に,結局はいくつかの仮定に基づいた貞観地震規模は過小に評価されていた。
・研究史を振り返ると, 箕浦らと東北電力女川原子力発電所建設所の阿部らの抜き差しならない関係が注意される。津波堆積物の研究は原発問題と切り離せない課題である。2014年2月に 『津波堆積物調査ハンドブック』を刊行した独立行政法人原子力安全基盤機構はこの2月に廃止され, 3月1日に原子力規制庁に統合された。この東日本大震災直後の知を結集したハンド ブックのPDF公開は現在停止されたままとなっている。学会の査読制度ですら,検閲に堕しかねない危険性を芋んでいることを箕浦らの足跡は示している。 旧来の枠組を超えた研究には,査読者にのみ一方的な権限を認めるのではなく, 他分野からも入る査読委員会,あるいは査読意見との対立が生じた場合の調停委員会や紛争委員会まで制度的に構築しておかなければ,公正で建設的な査読は望めないだろう。また,津波堆積物の研究は原発のみならず, 防潮堤や避難経路,ハザードマップなど日々の防災全般あるいは地価など,地域住民の生命・財産に直結する課題であり,学会自身も政治介入を招く危機を常に認識しておかなければ,今後の展望を切り開くことはできないだろう。